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政治を知るための参考書

独自の視点で政治を解説します

何者でもない若者が自民党国会議員になる方法

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国会議員になるルート5選

 

2020年9月に菅義偉氏が総理大臣に就任して、久しぶりの非世襲議員が誕生しました。秋田県のいちご農家に生まれ、段ボール工場で働き始めてから総理大臣に上り詰めるまでのストーリーは国民の夢と希望を与えました。マスコミによっては、田中角栄以来の「今太閤」と呼ぶ向きもあります。同じ秋田県出身者として誇らしい限りです。

 

菅総理が経歴についてある意味称賛されるのは何故なのか。それは珍しいからです。将来政治家を志す若者が、どのようにして政治家になるのか。自民党国会議員になるためのルートをみていきたいと思います。

 

世襲

国会議員全体の約40%を占めています。親族が作り上げた選挙区でのいわゆる3バン(地盤・看板・資金)を引き継ぎ、当選していきます。安倍前総理・麻生財務大臣・二階幹事長もそうです。当選してからどのようなポストに就くかどうかは、本人の実力次第ですが。

 

・官僚(国家公務員)

いわゆるキャリア(国家公務員Ⅰ種)のことです。東大→財務省→国会議員という王道ルートのことでしょうか。最近では宮澤喜一元総理ですが、人数としては減少傾向なのでしょうか。世襲議員の増加で立候補できる余地がすくなくなっているからでしょう。菅内閣の主要閣僚でも、加藤官房長官くらいです。その加藤官房長官も広い意味では世襲ですが。

 

・マスコミ

30数年前の若き日の私もこのルート(新聞記者)で政治家を目指していました。当時の竹下内閣で、消費税導入やリクルート事件で世間が騒然としていた時代です。マスコミの中でも新聞は別格で、世論を動かす花形の職場に見えました。時代はインターネットへと移り、テレビや新聞は凋落の道をたどっています。

 

・公募

小泉政権時の郵政解散時に杉村太蔵氏が当選したことで、一躍脚光を浴びました。公募から立候補するには、書類審査・論文・面接に通ることが必要。第二次安倍政権時から積極的に行ったこの公募で、宮崎謙介氏・豊田真由子氏などの問題議員を誕生させて魔の三回生と言われています。故鳩山邦夫氏の地盤である福岡6区の公募でも、次男の鳩山二郎氏に決まったように、親族が応募した場合は世襲ということになるようです。

 

上記4つのルートを見てきましたが、世襲はともかく他の3つに必要なのは高学歴(経歴)だということです。新聞記者を目指していた筆者のような学歴(成蹊大学)だとこれらのルートは難しいということです。

 

そうした高学歴(経歴)を持っていない若者が自民党国会議員になるには、どのようなルートをたどればよいのでしょうか。

 

自民党参議院議員の私設秘書になることです。

その理由をみていきます。

 

公設秘書と私設秘書のちがい

 

公設秘書

政策担当秘書(資格試験合格者)給与(670~860万円)

・公設第一秘書(資格不要) 給与(554~860万円)

・公設第二秘書(資格不要) 給与(432~634万円)

公設秘書には3種類あります。これらは秘書給与を国費で賄い、特別国家公務員になります。ちなみに公設秘書を10年勤めれば、試験を免除されて政策担当秘書になることができます。公設秘書には議員の配偶者がなることは禁止で、後継者となる者がつくケースが多いです。勤務地は国会周辺となります。

 

私設秘書

議員は何人でも雇用できます。

給与(240~400万円)と薄給です。

 

仕事は議員の選挙区でのサポートになります。

・支援者の方へのあいさつ回り。後援会に入っている企業や個人の方へ会いに行く。

→人脈ができる。

・議員が参加する地域のイベントを探して調整する。

・議員が出席できない分、代理で出席してスピーチなどをする。

・東京でイベントがある際は、後援会の方へ参加を促す。

・議員が選挙区へ帰ってきた時の送迎。

 

後援者との窓口になることで、選挙区事情に精通することができる。公設秘書には親族が就くことが多いので、議員の汚れ役いわゆるグレーゾーンを担うことで政治のイロハを学ぶことになる。

 

何故参議院議員の私設秘書なのか。衆議院議員の私設秘書ではだめなのか。

 

菅総理は神奈川県選出の衆議院議員である、小此木彦三郎氏の秘書を11年務めました。1987年 横浜市議会議員に当選

1991年 小此木彦三郎氏死去

1993年 地盤を子息の小此木八郎氏が引き継ぎ、衆議院議員に当選

1994年 小選挙区導入により、選挙区が増える。

小此木彦三郎氏の地盤だった、旧神奈川1区横浜市神奈川区鶴見区・西区)

1996年 第41回衆議院議員総選挙

    神奈川2区(西区含む) 菅総理当選

    神奈川3区(神奈川区鶴見区) 小此木八郎氏当選

1994年の小選挙区導入がなく、中選挙区のままであったならば、菅総理衆議院議員になることはなかったのかもしれません。

 

古賀誠

 

1940年生まれの現在80歳。1980年に旧福岡3区(現福岡7区)から当選10回。現在は議員を引退しましたが、自民党幹事長・宏池会会長を歴任した大物議員でした。

福岡県選出の参議院議員であった鬼丸勝之氏(在職1968~1974)の秘書(1967~1974)を務めました。1974年の選挙で鬼丸氏は選挙で落選して、秘書を失職することになったのです。後継者もいなかったようです。1980年の衆議院選挙までの6年間で、秘書の間に培った人脈を生かして地盤を固めたのでしょう。それが後に強個な地盤となり、中央政界で権勢をふるうことにつながったのだと思います。

 

どの選挙区がよいのか

 

私の出身地である秋田県小選挙区は3選挙区)のような選挙区は難しいです。空きがあっても別の候補を立てられてたら立候補できる余地は少なくなります。10選挙区(北海道・東京・千葉・神奈川・埼玉・愛知・大阪・兵庫・福岡)あるのが望ましいと思います。秘書としての業務を行いつつ、明確な後継者がいない衆議院議員の後援者とのパイプ作りを行うのです。

 

私設秘書という仕事は薄給で、現代のワークライフバランスからしたら対極にある職業かと思います。政治家を志し、そのイロハを学ぶ人にとっては最強の職場となるのではないでしょうか。